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SMAP独立4人組、“元サヤ”への道程!中居正広は田辺エージェンシー社長の助言に耳貸さず

解散騒動に揺れたSMAPが2016年1月18日放送のバラエティ番組「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)で会見し、各々がコメント後、木村拓哉(43)が「前を見て進みたいと思っています」と締め、一応の収束をみた。

だがセンターで“してやったり”の表情をみせる木村とは対照的に、他の4人は憔悴している様子で、“再出発”への課題も浮き彫りになる会見にも見えた。

SMAPの4人や“育ての親”とされるチーフマネージャー・I女史が独立を画策したことが今回のゴタゴタを招いたものとみられているが、昨年末から年初にかけ水面下ではどのような動きがあったのだろうか。

1月21日発売の「週刊新潮」では、メリー喜多川副社長(89)がインタビューに答えているようで…?

※うーん、発端は「文春」だったのでしょうか。
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国民的グループ「SMAP」が、まさかの「解散」(日刊スポーツ)あるいは「分裂危機」(スポーツニッポン)のピンチに瀕していると2016年1月13日付のスポーツ二紙に報じられた。

両紙の内容には微妙なニュアンスの違いもあったが、共通していたのは木村拓哉がジャニーズ事務所に残留する意志を示していることと、他の4人の去就が水面下で進んでいると思われることだった。

つまりこの報道の時点ではSMAPが“1対4”の分裂状態になっていると考えられ、SMAPの“育ての親”とされるマネージメント室長・I女史が何らかの理由でジャニーズ事務所を退所することになったのがその背景にあったと思われる。

とりわけ彼女への恩義に厚かったと考えられる中居正広(43)、稲垣吾郎(42)、草なぎ剛(41)、香取慎吾(38)の4人は彼女に追随する形での独立を画策していると思われたが、木村だけは「成功したから独立というのは、スジが通らない」とジャニーズ事務所への残留を決めているとされた。

“国民的アイドルグループ”SMAPの「解散」を2016年1月13日付の「日刊スポーツ」が、「分裂危機」を「スポーツニッポン」がそれぞれ報じ、風雲急...

(※そもそもは1月14日発売の「週刊新潮」のスクープだったといわれています)

木村だけが追随してくれなかったことはI女史にとって最大の誤算だったかもしれないが、そもそもI女史とジャニーズ事務所の上層部(とりわけメリー喜多川副社長)との間に決定的な溝が生じたと思われる出来事が、2015年1月22日発売の「週刊文春」誌上で報じられたメリー氏への独占インタビューの中で起きていた。

この時期はジャニーズファンを中心にジャニーズタレントには“派閥”的なものがあるのではないかとの噂が流れていた頃で、同誌が「派閥の存在」について質問したところ、メリー氏は次期社長を“藤島ジュリー景子副社長”であることを明言したうえで、I女史をその場に呼び「もしジュリーと飯島が問題になっているなら、私はジュリーを残します。自分の子だから。飯島は辞めさせます。それしかない」などと恫喝したという。

I女史は「いえいえ。派なんて全くないんですよ」「面白おかしく皆さんおっしゃっている。いちいち相手にしていてもしょうがない話だと思います。派閥なんて、私は天に誓って言った覚えはありませんので。今まで生きている中で」とあくまでも“派”という言葉が一部ファンを中心に一人歩きしていると弁解したが、メリー氏がI女史を強烈に意識していることは「辞めさせます」という言葉からも伝わってきましたし、I女史も外出先から呼びつけられたうえに一般誌上でメリー氏に一方的にまるで“反乱分子”である“派”を作っているのが自分のことであるような言い方をされたと感じたとすれば、いくら上司とはいえ信頼が揺らいでも不思議ではない“事件”にも感じた。

(※ここでの会話が、分岐点になった可能性はありそう)

企業には多かれ少なかれ対立構造があるものと思われますし、組織に居ればある種の“派閥”のようなものは自然発生的に生じるものとも考えられるが、そうした“対立構造”もある種の切磋琢磨の材料と捉え、お互い(の派閥)が時には意地を張り合い、手を取り合いながらやっていくのが会社であるとも思う。

会社が大きくなればなるほど“一枚岩”になるのが難しくなるのはむしろ自然で、それでも実際これまでジャニーズ事務所が芸能界において強固な地盤を築いてこれたのは、まさにジャニー喜多川社長を中心とした結束力の賜物だったはずだ。

ところが先述の“恫喝事件”がきっかけだったかは定かではないが、I女史にとってこれ以上会社に残ることはできないと感じるほど心身ともに傷付いてしまう出来事があったのでしょうし、本気で“独立”を考えるようになったことは彼女のこれまでの功績を考えれば事務所にとっても大きな損失だったはず。

ましてやSMAPの木村以外の4人もI女史に追随しようとしたのであれば、それだけ4人とI女史の間には切っても切れない絆があることの裏返しですし、ジャニーズ事務所という強固な後ろ盾を失う覚悟まであったことや、「SMAP」という名義を使えなくなってもそれ以上のもので結ばれていたとも考えてしまう。

メリー氏も先述の「週刊文春」での取材で次期社長を明言してしまうほどだっただけに(本来であれば、決定した時点で公式の場で発表すればいいだけのことですから)、I女史の存在を脅威に感じていたフシが見受けられるうえ、I女史に対して少々感情的になりすぎていたようにも感じた(あくまでも文面から伝わってきた印象ですが)。

お二人の間に何があったかは想像の域を出ないが、メリー氏もひょっとすれば言い過ぎたと後悔しているかも。

というのもSMAPがジャニーズ事務所から出ていって得をする人は誰もいないですし、何より大切なファンが大きな悲しみに暮れることくらいは誰でも容易に想像がつくからだ。

そして実際メリー氏もSMAPの4人が一度は離反しようとしたことは水に流し、もし4人に戻ってくる意志があるのであれば受け容れようとしていたようだ。

メリー氏は2016年1月21日発売の「週刊新潮」のインタビューに答え(1月15日に実施)、年末年始にI女史とSMAP4人の後ろ盾となり得るとの噂の出ていた大手芸能事務所「田辺エージェンシー」とのやり取りの経緯を説明したようで…?

(以下引用)

「昨年末、12月27日だったと思いますが、私の友人からの伝言で、田邊(昭知)さん(田辺エージェンシー社長)が、私に『4人を元に戻してくれないか』と言ってらっしゃるのを知りました」と告白。

以前から田邊氏とは親しいというメリー副社長は、「田邊さんがそうやって仕切ってくださるのであれば、私は受け入れましょう」と、その友人を通じて、4人を元に戻すことにOKの返事を出し、年明け1月2日には、田邊氏に電話で改めて「お受けします」と話したという。

田邊氏は、中居に対して「3人をまとめてジャニーズ事務所にあいさつに行くこと、そして仲間が1人、ある意味ケンカみたいになっているのだから、木村(拓哉)にもあやまってきなさい」と伝えてあることを、メリー副社長に明かしたそうで、「そこで私は『では、それを待ちます』とお返事をしておいたのです」と振り返っている。

(引用元:井上公造芸能)

芸能事務所「田辺エージェンシー」といえば、バラエティ番組「笑っていいとも!」(フジテレビ系、2014年3月31日に番組終了)で長らく司会を務めてきたタモリ(70)が所属していることで知られており、同番組には中居、草なぎ、香取がレギュラー出演していた。

そんな経緯もあり、I女史は一匹狼で独立するより、強固な後ろ盾があった方が今後の活動がしやすくなると考え、田辺エージェンシーらに働きかけていたかもしれないですし、4人も含めた移籍を視野に入れていた可能性もある(接触があったことだけは確かでしょう)。

実際どのような話があったかは不明だが、田邊社長は2015年12月27日にメリー氏に共通の知人を通じて「4人を元に戻してくれないか」と伝えていたようで、おそらく芸能界を長らく見てきた彼の目には、SMAPの4人は移籍あるいは独立するべきではなく、元の鞘に収まるのが最善とうつったのだろう。

4人が仮に「田辺」に移った場合、田辺サイドもジャニーズに気を使いながら4人を回さなければならないでしょうし、ジャニーズもこれまで田辺と良好な関係にあったのだとすれば信頼関係を失ってしまいかねない。

何よりSMAPという国民的グループの消滅が、芸能界全体にとって大きな損失だと考えてくれていた可能性もある。

そんなわけでメリー氏は2016年1月2日に田邊社長に直接電話をかけたうえで、田邊社長の取り計らいにお任せし、4人が戻る意志を示すことがあれば「お受けします」と、4人を受け容れる姿勢だったという。

なお田邊社長は(1)中居に対して他の3人をまとめてジャニーズ事務所に挨拶をしに行くことと、(2)木村拓哉へも謝罪すること、という2つの誠意をみせるよう条件を付けたようだ。

メリー氏もこれについて「では、それを待ちます」と返事していることから、この2つがクリアされればペナルティは軽くて済んだかもしれないですし、少なくとも今回の「スマスマ」のような“謝罪劇”は起こらなかったかも。

だが待てど暮らせど、中居からメリー氏への連絡はなかったようで…?

(以下引用)

そこでメリー副社長は、同8日に田辺エージェンシーに出向き、心遣いに感謝しつつも、「誰からも何も連絡がないので、申し訳ないけれど、私はやっぱり受けないほうがいいと思います」「田邊さんとの約束も守っていないのだから、私も受け入れられるわけがありません」と話したとか。

そして、「きちんと言っておきたいのは、私は4人を追い出したわけでも、受け入れないと言ったわけでもありません。むしろ田邊さんから言われて『受け入れます』とお返事をしました。それなのに誰もあいさつに来なかった。これはハッキリとさせておきます」と主張している。

(引用元:井上公造芸能)

中居は、最後の最後まで独立あるいは移籍の道を探っていたのだろう。

だがその全てが頓挫し、その結果、最終的に木村拓哉の仲介で「スマスマ」の会見前日(1月17日)にジャニー喜多川社長と4人が話を持てることになり、SMAP存続の道を決断したことになる。

中居は「スマスマ」での会見(1月18日)で、リーダーにもかかわらず4番目に挨拶し、深いため息混じりの声で、絞り出すように「これからもよろしくお願いいたします」と口にしていたことから、現実をまだ受け容れられないような苦々しさもうかがわせていた。

そして最後に挨拶をした草なぎだけが、奇しくも「今回、ジャニーさんに謝る機会を木村くんが作ってくれて、今、僕らはここに立てています」と木村に対する言葉を述べるに留まった。

真実はそれぞれにしかわからないが、SMAPはかろうじてジャニーズに生還し、再び「SMAP」として存続する道が残された。

謝罪会見をみれば賛否両論あるのも無理はなく、無事再出発できるのか懸念も残るが、今回の出来事により事務所もマネージメントの在り方や、タレントが切磋琢磨しながらも一致団結できる体制作りを見直す必要性に迫られたことは確かかもしれないですし、今回の件で誰が一番悲しんだのか再考する必要があるのでは。

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コメント

  1. 匿名 より:

    つうか改行無いからこの記事読みにくい…

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