高島彩アナウンサー(35、フリー)が2014年2月に第一子となる女児を出産したが、実はこの妊娠・出産までにはつらい過去があったという。
高島アナが4月25日に出版した出産エッセイ「彩日記-Birth-」によると、彼女は以前、死産を経験していたようで…?
高島彩アナといえば、ゆず・北川悠仁と、2011年10月20日に山梨県北杜市の身曾岐神社で挙式を行った(同日夜にFAXで結婚を発表)。
交際6年とゴールインまでやや時間を擁したのは、北川の母で宗教団体「かむながらのみち」の教主を務める北川慈敬さんが、2人の結婚にストップをかけていたことなどが影響したものともささやかれたが、2014年5月13日発売の「女性自身」によると、高島は最近、慈敬さんの教団本部兼自宅の隣に推定価格1億8千万円もの豪邸を購入するなど、姑との距離を詰める努力をしているようで、現在はそれぞれの関係も良好なものとみられている。
(アヤパンは頑張っているようです)
そんな高島は2014年2月17日に第一子となる女児を出産しており、上記の「女性自身」には愛娘と2人で慈敬さんの自宅へ遊ぶに行く様子もキャッチされていたが、その幸せ一杯にみえる生活の陰で過去には辛い経験もしていたようだ。
アヤパンが2014年4月25日に出版した出産エッセイ「彩日記-Birth-」によると…?
(以下引用)
本書によれば、最初の妊娠が判明したのは結婚から半年後のこと。妊娠4カ月目に入り、妊娠を世間に公表しようとしていた矢先、検診でおなかの中の赤ちゃんが亡くなっていることが分かったのだという。診断は「子宮内胎児死亡」、原因は染色体異常によるものだったそうだ。
この妊娠がわかったときには北川と歓喜し、「主人と手を取り合って喜んだ、幸せいっぱいのビデオ」も残っているという。
(引用元:日刊サイゾー)
高島は、結婚から半年後(2012年4月頃でしょうか)に実は妊娠していたことがわかったという。
フジテレビのエースとして活動してきた約10年間の勤めを終え、ようやく結婚が叶った矢先の出来事だったと思われるだけに、その喜びはビデオに撮るほど大きなものだったが、無念にも死産だったという。
当時、高島はフリーアナとして活動しており、バラエティ番組「ナダールの穴」(フジテレビ系、2011年10月~2012年3月)や、バラエティ番組「世界は言葉でできている」(フジテレビ系、2012年10月~12月)なども担当していたが、そうした出来事を隠しながら仕事に当たっていたとすれば辛い時期だったに違いない。
責任感が強そうにみえる高島だけに周囲には出さなかったものと思われるが、家ではこれまでにないほど泣いていたようで…?
(以下引用)
「いつのまにかついた、おなかをなでる癖。『もうここにはいないんだ』と気付いては泣き、目が覚めて、あの子が死んでしまったことが現実だと分かると泣いて……。あの時期は、今まで生きてきて、こんなに泣いたことはないくらい泣き続けていました」(本書より)
(引用元:日刊サイゾー)
それでもそんな高島の心を癒やしたのは、同じような経験をもつ女性たちのブログだったという。
実際に検索してみると、死産を乗り越え、必死に生き抜いているママやパパは想像以上に多いようだ。
高島はそんな同じ痛みを抱える方々と気持ちを共有しながら、北川とともに悲しみを乗り越え、半年間子宮を休めた後、本格的な“妊活”を再開したという。
それでも妊娠がすぐにうまくいくものでもなく、彼女には再び試練が待ち受けていたようで…?
(以下引用)
高島は一度、妊娠検査薬で陽性反応が出たにもかかわらず、生理が始まってしまう「化学的流産」も経験。これは受精したものの着床が続かなかった状態を指すもので流産とは見なされないが、高島は「やっぱり落ち込みは相当なものでした」と振り返っている。
そして死産から1年が過ぎたころに、ついに2度目の妊娠。それでも出産までの道のりは決して安泰なものではなかった。
マスコミへの妊娠発表の2日後には、胎盤が子宮口をふさいでいる「全前置胎盤」という状態であることが発覚。「切迫流産」の診断を受けるなどの危機もあったという。そうした不安な日々を乗り切り、今年の2月、無事出産を迎えたのだ。
(引用元:日刊サイゾー)
「化学的流産」は妊娠検査薬では陽性が出るのに、いつもの生理と同じように血液と一緒に受精卵が対外に排出されてしまう状況のことらしく、後遺症の心配もなく、妊娠成立前の出来事なので厳密には流産ではないが、高島にとってはやはりショックだったようだ。
だが「化学的流産」は妊娠ができる可能性のある証拠ともいえますし、高島はさらに“妊活”を頑張り、ようやく2度目の妊娠に至った。
高島は2013年10月2日に妊娠6か月であることを所属事務所を通じて発表し、翌10月3日には過去に司会を務めた情報番組「めざましテレビ」(フジテレビ)にもコメントを寄せた。
そこでの高島のコメントは「いつもなるようになるさと能天気な私ですが、今回は初めてのことに戸惑ったり不安を感じており、日々の変化に一喜一憂する毎日です」とやや神経質な印象で、期待と不安が入り交じった気持ちが伝わってくるものだった。
(不安も吐露していたアヤパン)
しかも、この報告直後には「全前置胎盤」の状況となり、「切迫流産」(流産の危険が迫っている状態)の診断も受けたようなので、不安な日々が続いたようだ。
それでもそうしたピンチを乗り切り、高島は2014年2月17日に無事、第一子となる女児を出産した。
どんなママも妊娠から出産まで何事もなく順調にいくケースは稀なのかもしれないが、高島が苦労の末に出産していたことに驚くとともに、命の大切さを改めて考えさせられるエピソードだと思った。
このような告白が、妊活中のママやパパの一助になることを願う。
興味のある方は、アヤパンの出産エッセイ「彩日記-Birth-」を一度手に取られてみては。
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