2009年6月13日の試合中の事故で亡くなった、プロレスラー・三沢光晴さん(享年46)の死因が、バックドロップを受けて頭部を強打したことによる頚髄離断(けいずいりだん)であることが分かった。
6月14日、プロレスリング・ノアは予定通り興行を行い、三沢さんに技をかけた斎藤彰俊(43)が遺影に号泣しながら土下座したという。
(以下引用)
試合中にバックドロップで首から頭にかけて強打した三沢さんだが、その死から一夜明け14日、広島県警中央署が死因を明かした。診断は頚髄離断で、事件性はないという。
頚髄離断とは、首の骨、背骨を通って腰まで延びている神経「脊髄」のうち首部分を指し、リング状の首の骨の中央を通っているという。
何らかのショックにより、中の頚髄が損傷するなどすることがある。一部の損傷であれば回復が見込めるが、切れてしまうと回復は困難で、即死するケースも多いという。
(引用元:梨元芸能!裏チャンネル)
三沢さんの死因は、頚髄離断だった。
技をかけられた時の状況は、一体どのようなものだったのだろうか。
「目撃者などによると、三沢さんはバックドロップを食らった際に受け身の体勢が十分に取れず、身体が“くの字”に折れる不自然な形で落下」したそうだ(情報元:井上公造芸能)。
三沢さんは1984年から2代目タイガーマスクとして活躍、1990年5月にマスクを脱ぎ、1992年8月に三冠ヘビー級を初獲得した。
2000年7月にノアを旗揚げし、経営者としてもマット界を牽引していた(情報元:井上公造芸能)。
三沢さんの死から一夜明けた6月14日、プロレスリング・ノアは予定通り福岡・博多で興行を行ったようで…?
(以下引用)
前日、三沢さんにバックドロップをかけた斎藤彰俊(43)は、泣きながらリングに上がった。試合後は、リングサイドに置かれた遺影に向かって「社長、すいません。社長はまだやりたいことがあったのに、オレがあんなことしちゃって…」と土下座した。
前夜は一睡もせずに遺体の前で過ごしたそうで、「引退も考えた。でも、社長は弱音を吐くと怒るので。リングに上がり続けることが恩返し。どんな重い十字架でも背負って精進していきます」と誓った。
(引用元:井上公造芸能)
技をかけた斎藤選手は、本当に複雑で居たたまれない思いだろう。
悲痛な覚悟が伝わってくるが、これからの人生、ぜひ三沢さんの分まで力を尽くしてほしい。
また、日本テレビ時代にプロレスの実況アナウンサーを務めた、フリーアナの徳光和夫(68)は6月14日、情報番組「ザ・サンデー NEXT」(日本テレビ系)でコメントを寄せたようで…?
(以下引用)
三沢さんの訃報を声を詰まらせながら伝え、「三沢選手は受け身の名人でした。その受け身でこういったことになり、死にきれない思いだったのでは」「彼は人間としても、レスリングでもリーダーだった。こういう形でリングを去って、今後、プロレス界はどうなるのだろう」と絞り出すように、悲痛な思いを語った。
(引用元:井上公造芸能)
三沢さんとの付き合いが長かった著名人にも、悲しみの声があがった。
徳光アナは“リング上で大往生でき、本望だったのでは”などとは言わない。
“死にきれない思いだったのでは”と語った裏には、マット界全体のことを考えても大きな損失だったことが伺える。
(以下引用)
夫でレスラーの佐々木健介(42)が、事故のあった日の大会に参加していた“鬼嫁”こと北斗晶(41)も、ブログで「驚きと悲しみのあまり、言葉もありません。ここに謹んで哀悼の意を表しますとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメント。
関係者によると、言葉が出ないほどショックを受けていたという。
(引用元:井上公造芸能)
これまで同じリング上で戦ってきた佐々木健介・北斗晶夫妻も複雑な心境だろう。
北斗にとっては、三沢さんとほぼ同年代の旦那を持つだけに、明日は我が身の思いかもしれない。
三沢さんほどの名選手でも、一歩間違えば命を失ってしまうプロレスの世界。
“やらせ”などと軽くみてしまう人もいるかもしれないが、命をかけた紙一重の勝負が繰り広げられている。
三沢選手に、謹んでご冥福をお祈りいたします。
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コメント
猪木が、「プロレスはショーです」といっていたのを思い出すのですが、やはり命がかかるときもあるのですね。ご家族は無念でしょうが、(リングで死ねるということが本人にとっては幸福だった)と思いたいものです。ご冥福をお祈りします。
狼皮のスイーツマン さま
こんにちは♪いつもありがとうございます。
三沢さんは今年で引退する意向だったとききますから
ご家族としては無念だったかもしれません。
三沢さんの生きざまを、今後のノアに生かして欲しいですね。
また気軽にお立ち寄りくださいませ★
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。