主演ドラマ「新参者」(TBS系)の初回視聴率が21.0%を記録し、“新視聴率男”の呼び声も高い俳優・阿部寛(45)。
しかし、ドラマや映画などの露出の多さに比べ、その素顔は意外と知られていない。阿部の妻にしてもしかり。
2010年4月28日発売の「女性セブン」が、そんな阿部の周辺を取材しているようで…?
(以下引用)
阿部の生まれ育った横浜市内の住宅街では評判の美男子だったという。
「目のクリッとしたかわいらしい少年でお母さんによく似ていました。地味な格好をしていましたが、みるみる大きくなってイケメンになっていきましたね」(近所の住人)
兄と姉の三きょうだいの末っ子という阿部。母はそんな阿部をかわいがり、芸能界にデビューした後も一緒に阿部の出演作を見に行くなど、仲の良い親子だったという。
しかし、そんな母は15年ほど前に病で倒れてしまう。咽頭がんだった。
「がんで入退院を繰り返すお母さんが心配で寛さんは有名になってからもしばらく実家で過ごしていました。阿部さんの家は道路から階段を下りなければいけなかったので、寛さんとお兄さんはバリアフリーの2世帯住宅をお母さんのために建てる計画をしていたんですが、それも叶わぬ間にお母さんは亡くなってしまいました」(阿部の知人)
母親が亡くなったのは’04年放送のドラマ『アットホーム・ダッド』(フジテレビ系)の収録が佳境を迎えていたときのことだったが、プロ意識の高い阿部はスタッフに母の死を告げずにスケジュール通り仕事をこなした。
最後まで知らなかったスタッフも多かったという。
(引用元:女性セブン)
阿部寛に関するエピソードといえば、実際には190cmを超えている身長を189cmと公表していることなどが有名だが(身長が高すぎると女優さんが低く見えすぎるため、ドラマや映画に使ってもらえないからとか)、普段の生活やご家族に関するエピソードはほとんど聞いたことがない。
そこで、まず阿部の母親についてのお話。阿部は母親似のようだ。
阿部は「メンズノンノ」の創刊号から43号まで連続して表紙を飾り、「世界で最も『同じ雑誌の表紙を連続して飾った人物」として『ギネスブック』に認定されているそうだが、母親譲りのイケ面なしにはこうした記録も生まれなかっただろう。
「アットホーム・ダッド」といえば、阿部と雨上がり決死隊の宮迫博之が“専業主夫”をする話だったが、そんな家族の在り方にスポットを当てたドラマのロケ中にその母親を亡くしていたとは…。
それでも、母の死をスタッフに告げることなく演じきったという阿部。
プロ意識を感じさせるエピソードでもある。
(以下引用)
それから3年の月日が過ぎ、阿部は新しい家族を得る。15歳年下の元OL・A子さんと結婚したのだ。
「阿部さんは会見に美術さんい描いてもらったというA子さんのデッサンを持参していたのですが、後にも先にもそれっきり。交際中も結婚後も新聞雑誌、どのマスコミにも写真が出たことはなく、本当にいるのかなどという冗談が出るほど誰にも知られていないんです」(スポーツ紙デスク)
そこでA子さんの両親に話を聞くために、埼玉県にあるA子さんの実家を訪ねると、A子さんの母が応じてくれた。
「娘はあまり彼のことを話そうとしませんし、“余計なことを話さなくていいから知らない方がいいんじゃないの”といっていますよ。彼はすごく自然体で優しい男性ですよ。(結婚の挨拶に来たときも)“本当に大切に幸せにしたいと思うので、お許しいただけますか”といってくれました」
(引用元:女性セブン)
阿部は2007年11月20日に会見を開き、結婚を発表した。
会見では、自らが主演したドラマ『結婚できない男』にちなみ、「“結婚できない男”が結婚することになりました」と述べて、会場の笑いを誘ったとか(情報元:ウィキペディア)。
阿部はその席で、自分が描いたA子さんの似顔絵と、美術さんに描いてもらったというA子さんの似顔絵を披露している。
阿部自身が描いたA子さんの似顔絵は、コチラでみられる(↓)。
一般の方ということもあり顔写真や名前は伏せつつも、似顔絵を持参するあたりは阿部の報道陣に対する気遣いだろう。
A子さんも、実家の母親にはあまり阿部のことを話さないそうだが、それもA子さんなりの気遣いなのかも。
多くを語らないタイプの人ほど秘めているものは熱かったり、気遣いがあったりするもの。
噂は聞こえてこなくても、いまの阿部の活躍の陰にはA子さんの目には見えないしっかりとした支えがありそう。
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コメント
プロ意識は立派
しかし母親ですから
取り乱しても私はいいと思います