TBS・齋藤慎太郎アナウンサー(27)が2025年3月3日付のインスタグラムで、横浜F・マリノスジュニアユース追浜に所属していた中学時代の写真を公開しました。
ネット上では「昔からイケメンだったんですね」「足の筋肉ついてるねー」「中学だから幼い…でもやっぱカッケ~よ」などの声が挙がっています。
1.齋藤慎太郎アナの中学時代ショット
胸に「NISSAN」のロゴや「6」の番号が入ったブルーのユニフォーム姿で、サッカーボールを蹴る瞬間をとらえた写真(1枚目)や、パスを出そうとしている写真(2枚目)、ドリブルをしている写真(3枚目)が披露されています。
いずれも「中学生時代(多分2012年くらい)」の写真で、齋藤アナは「横浜FマリノスJY追浜 ポジションはCB。6番でした。好きなスパイクはTiempo。好きな海外チームはChelsea 好きな選手はDavid Luiz」と、当時を懐かしそうに振り返っていました。
齋藤アナといえばボディコンテストに出場するほどの筋肉美の持ち主で、インスタグラムでも度々“ムキムキショット”を披露していますが、サッカー少年時代も下肢の筋肉は見事に発達していますし、当時の運動習慣が現在の肉体作りにも生かされているのかも。
2.齋藤慎太郎アナが過去に披露したサッカー時代の写真
齋藤アナは過去にも、サッカー活動をしていた頃の写真を披露したことがあります。
ここでは、それらをいくつか振り返ってみましょう。
2-1.小学生時代
2021年2月28日付のインスタグラムで披露したもので、スポーツウェアブランド「adidas(アディダス)」のスリーストライプスが印象的な深緑のユニフォーム姿でドリブルをしている小学生時代の写真です。
「横須賀シーガルズ」でプレーしていた神奈川県横須賀市出身の齋藤アナは、この頃すでに守備の要である「CB」(センターバック)を任されていたそうで、強靱なフィジカルはこの時期から培われていたのかも。
2-2.中学時代
2020年10月12日付のインスタグラムで披露したもので、背番号「6」のブルーのユニフォーム姿でボールを蹴ろうとする瞬間の写真(1枚目)などです。
齋藤アナは「マリノスファンの方や、チームメイトの親御さんが撮ってくださっていました」と、周囲からいただいた写真であることを明かしつつ、「僕の昔を知っている方にも、「あいつ成長したな」と思ってもらえるよう、これからも精進していきます!!」と、育ててもらった感謝を胸にアナウンサーのフィールドでも邁進する決意を表明していました。
2-3.高校時代
2021年3月21日付および2024年3月20日付のインスタグラムで公開したもので、ジャージ姿でチームメイトと肩を組み変顔をしている集合写真(上、齋藤アナは後列の右から2番目?)と、ザスパ群馬・和田昌士選手(27、左)と齋藤アナ(右)が並んでピースをしている白のユニフォーム姿の写真(下の2枚目)です。
いずれも横浜F・マリノスのユースチーム時代のもので、アナウンサーとしてJ2リーグ「横浜FC×ザスパ群馬」戦(2024年3月20日:神奈川・ニッパツ三ツ沢球技場)の実況を務めた齋藤アナは、「『和田昌士が入ります』というフレーズを言った時は、なんとも感慨深かった」と、高校時代のチームメイトの活躍に刺激を受けていました。
2-4.大学時代
2020年10月16日付および2022年2月19日のインスタグラムで披露したもので、立教大学のチームカラーである江戸紫のユニフォーム姿でプレーしている写真(上の1~3枚目)と、あごを左手でつまむように持ち、笑顔をみせているユニフォーム姿(下)です。
下の写真は「ポートレートが流行りはじめた(?)大学2年生の頃、試しに撮った」という一枚で、当時から爽やかな笑顔でモテモテだったのかも?
3.まとめ
TBS・齋藤慎太郎アナが、横浜F・マリノスジュニアユース追浜に所属していた中学時代の写真を公開しました。
当時からイケメンでフォワード顔にみえますが、守備の要・センターバックに構えていたのが渋いですし、しなやかな下肢の筋肉が強靱なフィジカルの証です。
名門プロチームの下部組織だけにチームの練習もハードだったと思いますが、そうした厳しい負荷に耐え抜いてきた経験が、現在のストイックな肉体作りにも生かされていそうです。
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