女優・真琴つばさ(48)が女優・檀れい(42)を泣かしていた過去が、2013年9月25日放送の「出張!徹子の部屋」(テレビ朝日系)で明かされた。
2人は宝塚歌劇団に所属していた頃に月組の“トップスター”(真琴)と“トップ娘役”(檀)でコンビを組んだ仲でもあるが、宝塚といえば極めて特殊な“女の園”だけに壮絶ないじめやバッシングもあったようで…?
「出張!徹子の部屋」(テレビ朝日系)は通常の「徹子の部屋」とは異なり、黒柳徹子(80)がスタジオを飛び出し、様々な芸能人との交流を図る特番で、その第6弾となった2013年9月25日放送分では、福山雅治、松田聖子、澤穂希、元タカラジェンヌ(4名)らとそれぞれ交流やトークを楽しんだ。
元タカラジェンヌとのコーナーには寿美花代(81、元星組 男役スター)、鳳蘭(67、元星組 男役スター)、真琴つばさ(48、元月組 トップスター)、檀れい(42、元月組 トップ娘役)の4人が集合し、黒柳がサポート役の中山秀征(46、妻は元星組トップ娘役・白城あやか(46))に、まだ宝塚歌劇を観たことがないというオアシズの2人(光浦靖子(42)、大久保佳代子(42))を交えて、帝国ホテル(東京宝塚劇場の向かい)内のスペースでトークに花を咲かせた。
その冒頭で、黒柳がオアシズに「宝塚にはどういうイメージをお持ちだったの?」と質問すると、光浦が「清らか」と答えたのに対し、大久保は「でも女の世界なので、笑いながらも、裏でピリピリしたものがあるんじゃないかなっていう…」と、真に迫る答えで返した。
これに対して、寿美が即座に「その通り」とあっけらかんと答えたほか、鳳も「ちょっと若くして役が付いたりすると、悔しいとかあるのかもしれません」と同調した。
中山が「皆さん強いですね」と合いの手を入れると、今度は真琴が「私がいじめた経験は檀れいさんしかないです」「泣かせました」と話して、一同から笑いが漏れた。
檀は「そんなことない、そんなことない」と苦笑し、「舞台に対してはとても厳しい先輩だったんですけど、根底に愛情があるので、一生懸命、真琴さんの後をついていった感じです」と答えていた。
(※檀は複雑な生い立ちの末に、宝塚に入団したことでも知られる)
トークはその後も終始和やかな雰囲気ではあったものの、宝塚といえば規律に厳しいだけでなく、“女の園”という特別な環境でもあるだけに、いじめやバッシングのようなものまであったようだ。
檀も例外ではなかったようで…?
(以下引用)
’99年、当時、月組トップスターとして絶大なる人気を誇っていた真琴の相手役として月組トップ娘役になったのが檀だった。
「今でこそ女優として高い評価を受けている檀さんですが、入団当時の成績は、同期で最下位。“歌も踊りも下手で、きれいなだけ”なんて心ない声もあがっていました」(宝塚関係者)
そんな彼女が真琴の相手役に選ばれたことは“大抜擢”だった。それまで相手役を務めていた風花舞(42才)の退団によって、月組トップ娘役になった檀。だが当時、後任には檀の同期で歌も踊りも上手と評判だった千紘れいか(40才)が選ばれると目されていた。
「蓋を開けてみれば、選ばれたのは檀さんでした。これにショックを受けた千紘さんは、内緒で劇団四季のオーディションを受けて、宝塚を電撃退団してしまうんです。結果として檀さんが千紘さんを追い出す形となってしまいました」(前出・宝塚関係者)
(引用元:女性セブン)
来年で100周年を迎える宝塚歌劇団といえば、世界でも類を見ない“女性だけで演じる劇団”として知られる。
「花組」「月組」「雪組」「星組」「宙組」の5つの組で構成され、“トップスター”と呼ばれる男役をそれぞれの頂点とした劇団員はおよそ400名だ。
檀れいは1992年に第78期生として宝塚歌劇団に入団したが、入団当時の成績は40番(最下位)だったという。
それでも雪組時代の1998年に「浅茅が宿/ラヴィール」新人公演で初ヒロインを演じると、翌1999年からは月組のトップ娘役に起用され、当時月組のトップスターだった真琴つばさの相手役を務めることになった(情報元:ウィキペディア)。
当時、月組では次のトップ娘役の候補として千紘れいか(40)らの名が挙がっていたようだが、予想を裏切り、檀が抜擢されたのだという。
こうした人事を受け、千紘のショックも小さくなかったのか、翌年には宝塚を退団してしまったようだ(千紘は2000年4月に宝塚歌劇団を退団し、劇団四季に入団。2007年5月に劇団四季を退団)。
(※檀の努力もさることながら、真琴との相性やバランスもあったのかも)
檀からすれば7年の苦節を経てようやく登り詰めたスターダムだったが、一方でその代償も大きかったようだ。
以来、檀は宝塚内部やファンなどからも猛烈ないじめやバッシングを受けたという。
ファンレターの中にカミソリが入っていたり、月組の中でも孤立し、メイク室で一人でたまごかけご飯を食べていたこともあったようだ(情報元:女性セブン)。
そんな彼女に声をかけたのが真琴だったようで…?
(以下引用)
「真琴さんは檀さんを食事に誘い、“歌や踊りは努力でうまくなるけど、見た目のきれいさはどんなに努力してもなれない。だから自信を持ちなさい”と励ましたそうです」(前出・宝塚関係者)
孤独な思いを抱えていた檀は、その真琴の言葉に救われたという。そして少しずつだが元気を取り戻し始めた檀は真琴にこんなお願いをした。
「私と仲よくしてください」
しかし、真琴から返ってきた言葉は、
「あなたとは仲よくしたくない」
という言葉だった‥‥。この思いがけない真琴の言葉に、檀は泣き崩れたという。
「真琴さんにしてみれば、“仲よくなりすぎてしまうと、緊張感が保てなくなり、いい舞台ができないから”という思いだったんです。 でも、ようやく信頼できる人ができたと思っていた檀さんからしてみれば、ショックは大きかったみたいですよ‥‥」(前出・宝塚関係者)
(引用元:女性セブン)
檀は、真琴が宝塚大劇場での公演「愛のソナタ/ESP!」(2001年)を最後に宝塚歌劇団を退団するまで、約2年間に渡りコンビを組んだが、必ずしも“仲良し”な関係ではなかったようだ。
もちろん常日ごろから行動をともにする関係だけに仲良しに越したことはないが、ビジネスパートナーである以上は相手の嫌な部分も受け容れたうえで、付き合っていくのがプロであり、社会人というもの。
真琴は窮地の檀を食事に誘いながらも、「あなたとは仲よくしたくない」と檀を突き放したこともあったようだが、檀もこれを“愛のムチ”と捉えられたからこそ、その後の彼女の成長につながっているのかも。
真琴が「出張!徹子の部屋」で「私がいじめた経験は檀れいさんしかないです」「泣かせました」と話したのは、上記のシーンのことを指しているのかもしれないが、今こうして腹を割って話せるのですから、ふたりが作り上げた二年間はきっと今に生かされているのでは。
ちなみに檀は真琴の退団に伴い、自身も“月組トップ娘役”を降板したが、直後の2001年9月から約1年間“専科”(特定の組に所属しない団員の集まり)で過ごし、その後2003年4月から“星組トップ娘役”を務めるという異色の道を選んだ。
宝塚では“トップ娘役”の降板後に退団というケースも少なくないようですし、真琴の退団以降もそのまま“月組トップ娘役”を続けるという選択肢もあったかもしれないなかで、専科に移り、きっとそこで自分を見つめ直し、再挑戦の末、今度は“星組トップ娘役”を勝ち取ったというのは努力の賜物以外にないのかも。
現在は芸能界で女優として活躍する檀と真琴だが、今後も元同僚として良い関係を気付きつつも、良きライバルとして活躍されることを期待したいと思う。
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