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元ファンモン・モン吉がフリーター生活を送るワケ!ファンキー加藤は全国ツアーの好対照

2013年6月2日の東京ドーム公演を最後に解散したFUNKY MONKEY BABYS(ファンキー・モンキー・ベイビーズ)のボーカル・モン吉(36)の近況を、2015年6月2日発売の「女性自身」が報じている。

もう一人のボーカル・ファンキー加藤(36)はソロ活動を続けており、DJケミカル(33)は実家の寺院を継ぐため修行に励んでいるようだが、モン吉はいま何をしているのだろうか…?

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“ファンモン”ことFUNKY MONKEY BABYS(ファンキー・モンキー・ベイビーズ)といえばファンキー加藤モン吉の2人のボーカルとDJケミカルによる東京・八王子市出身の3人組音楽グループで、2006年1月25日に「そのまんま東へ」でメジャーデビュー後、シングル「Lovin’Life」(2007年)や「あとひとつ」(2010年)などのヒット曲で人気を博した。

だがその後、DJケミカルが実家の住職を継ぐことになり脱退を余儀なくされたため、2013年6月2日の東京ドーム公演を最後に惜しまれつつも解散した。

その後ファンキー加藤はソロで活動していくことを宣言し、2014年には「My VOICE」、「輝け」、「太陽」の3枚のシングルをリリースしたほか、2014年9月3日にはこれらを収録したソロアルバム「ONE」をリリースした。

2015年もすでに同アルバムを引っ提げた全国ホールツアー「ONE FOR HALL TOUR 2015」(2015年1月24日~7月4日)を行っており、意欲的な音楽活動を続けている。

 隔週連載《中山秀征の会いたい人》。今回は、’06年にデビューし瞬く間に国民的グループとなり、’13年に解散したファンキーモンキーベイビーズのリーダーだった、ファンキー加藤さん(35)。解散から1年少々、今の思いを語ってくれた。 中山「ソロになってからの1年と少しを振り返るとどうですか?」 加藤「10年分くらいのいろん...

(※「モンちゃんはこの間ライブを見に来てくれました」)

またDJケミカルは八王子市内の実家で、1300年代から続く時宗の寺院・法蓮寺を継ぐため、修行を続けているようだ。

2015年5月11日発売の「フラッシュ」の取材には「まだまだ修行中の身で、住職ではないです。(寺へ)行ったり来たりしながらの生活です。順調?アハハ、そうですね(笑い)」と答えており、2012年に結婚した奥さんとともに新居で生活しながら鍛錬の日々を送っているのかも。

 メンバーのDJケミカル(31)が東京都八王子市内の実家・法蓮寺を継ぐため、6月2日の東京ドームコンサートを最後に解散したFUNKY MONKEY BABYS。昨年4月に一般女性と結婚したケミカルは、昨年末、実家近くに新居を建設。引退前から着々と“転職”準備に怠りなかったとか。 「息子さん(ケミカル)の派手な話は聞いた...

(※解散当時の様子。奥さんは所属事務所の元スタッフだとか)

だがモン吉については、その後何をやっているのかほとんど伝わってこない。

というのもモン吉の知人によると、彼はいま何もしていないようで…?

(以下引用)

モンちゃんは、たしかにブラブラしていますね。5年前に結婚して、まだ子供はいません。

たまにクラブDJをやって稼いでいましたが、それに一時期のことでした……

(引用元:女性自身)

モン吉は2010年に幼馴染の一般女性と結婚しているが、お子さんはいないようなので奥さんと二人で生活していると思われるが、2013年のファンモン解散後はたまにクラブDJをするくらいで主立った活動はしていないという。

これまでファンモンがリリースしてきたシングル、アルバム曲の作詞・作曲のほとんどが「FUNKY MONKEY BABYS」(グループ)名義ですし、取り分はそれぞれの相談で決めているにせよ、モン吉にもそれなりの印税収入があると思われるので、生活にすぐ困ることはなさそうだが、音楽活動を断ってしまうことに未練はないのだろうか…?

(以下引用)

「(前略)ファンモンが余りに売れすぎたことで、次から次へと曲作りを強いられるようになった。ひどいときには『3日に1曲作る』なんてことも。

そうした消費される生活に疲れたのではないでしょうか

(引用元:女性自身。音楽関係者の談話)

アーティストは売れるまでが非常に困難だと思われるが、売れない時代には伝えたいメッセージをストレートに曲にできる自由度は高そうで、もしそれらに共感してくれるファンが増えてくれればアーティスト本人たちも心から満たされ、次の創作意欲も湧いてくるはず。

ところが一度売れてしまうと知名度が一気に上がり収入もそれなり安定するメリットがある一方で、今度は売るための曲作りが求められるようになるのでは。

例えばドラマやCMのタイアップがつけば一定の売り上げが見込める一方で、そのイメージに合った曲を作らねばならなくなる。

そんな状況下でもこれまでの理想を一度ぶち壊して、ビジネスライクでも彼らなりのイメージを最低限維持し、曲作りを続けていくことこそがプロのアーティストと言われるもののはずだが、どの時代も売れた後に葛藤のないアーティストはいないのでは。

ブレイク後のアーティストはそんな妥協点を見いだすのに時間がかかりそうだが、CDが売れない今の時代に「じっくりと好きな曲を書かせてあげればいい」などと悠長なことを言ってくれるレコード会社はないでしょうし、いわゆる“ホップ・ステップ・ジャンプ”の“ステップ”の部分を飛ばされて、いきなり“ジャンプ”しなければならない時代を生き抜くためには、研ぎ澄まされたその若い感性を柔軟な発想でビジネス用の曲に落とし込む覚悟も必要になっているのかもしれない。

そうした意味でアーティストには余裕のある心理状態で創作活動ができるよう、良い音楽が適正に評価された上でCDや音源が売れ、収入につながる業界の仕組み作りが急務といえそうだが、“握手会”や“選挙権”のために売れているCDが評価されるような時代では、残念ながら誠実に音楽を作っている若手アーティストの芽が伸びにくくなっているのが現状だ。

そうした中でもブレイクを果たし、過酷な状況を経験した上で、結果的に一度離脱することになったモン吉からすれば、今は心をリセットしている状態なのかもしれないですし、そうした時間が彼にはいま必要なのかも。

(以下引用)

「モン吉はいつも『人が多くて欲にまみれた都会がイヤなんだ……』と言っていました。だからでしょう、解散後は奥さんと一緒に世界放浪の旅へ出ていましたね。

元々、そういうヤツなんです。ファンモンで忙しくしていた彼のほうが、僕たちからすれば違和感があった。なので、今は“元に戻った”というほうがしっくりくるよ

(引用元:女性自身。知人の談話)

モン吉の出身地でもある東京・八王子市といえば都心から離れた西に広がる市で、八王子駅(JRや京王電鉄)前こそ開けているイメージもあるが、郊外には高尾山があったり、住宅地や大学の多いイメージもあるなど、どちらかといえばのどかな街だと思う。

地元の空気を吸って落ち着いた頃に、もう一度音楽に携わりたいと思えることがあれば、その時がモン吉にとって再出発の日になるのかも。

★ここまで、お読みいただきありがとうございます。以下もどうぞ☕

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